あう

ちょっとした更新にチェックいれてたのにwwww
んなわけで、もう少し力を抜いてみると良いと思うわけです。まあ、それが難しいんですが。
こう、惚っと眺める月だったり川だったり山が唐突に自分に何らかの影響を及ぼすことがあるっていう経験は誰でもあるかと思います。他人のふとした仕種や、何気ない言動に感銘を覚えたことがあるという方もおりましょう。それ何らかの明確な意思が込められた文章なんかになると、どんどん影響を受けてしまうわけです。そういうわけで司馬遼太郎ファンの中小企業の社長なんかがいっぱいいるわけです。
それがより直接的になった言葉というのは、直接的にした分伝えたいという意思があるわけです。つーことは吸収しやすい言葉だろうと思うわけです。
ところがある程度脳みそが発達してる動物には感情があるわけでして、嫌悪感ってのは多分にあったりします。鼻水垂らして人様殴りつけて怒鳴り散らしたい年頃の糞ガキなんぞは親御さんや教師がいくら諭しても「うっせーんだよハゲまじ殺すぞ」みたいな勢いで無視するどころか逆の道を歩こうなんてこと考えます。あ、いや、これは何か違うかも。
あーでもとりあえず嫌いな人の言葉は聞きたくないわけです。劣等感とか負い目なんかを感じてると相手のこと嫌いじゃなくても何か素直に受け止められないわけです。思春期とかそんな経験しませんでしたかね。俺は物心付いた頃からそんな感じでしたけど。
ある年齢に達すると普通はこっそり気付いてると思うんですよね。あいつ、面は気に食わねぇが言ってることはマトモじゃねぇか、とか。あくまで例えね。
要するに何かに邪魔されて、素直に良い情報を正しく処理できないってのがよろしくない。皮肉に気付かなかったり増長したりってこともあります。良い感情も良くない感情も色々邪魔だったりしますわ。
んなわけで客観的に自分と情報を見比べてみる。なるべく相手の意図したものに近い形で受け取ろうと努力する。その上で要るか要らないかは自分で選びます。てわけで自分を曲げるといったのとは違うかなぁとか思う。
でも我慢は必要だなぁと思いますね。思えばゲロ吐くようなこともありました。照れながら「俺たち親友だよな」と笑いあったダチが逮捕されたこともありました。年上の糞やろうにボコボコにされたこともありました。もう死ぬかなぁと思ったこともありました。本気で殺そうと思うこともありました。ダサいけど一人で何度も何度も泣いた事がありました。今思えば馬鹿だったかもしれないけど、そのときの俺は正しいと思ってましたよ。だから色々我慢してましたよ。威張れない格好悪いことだけど、俺まじで必死だったんですよ。今は醜悪なオタクですけども。



人の意見や考えを押し返すことはそれこそヨチヨチ歩きの子供でも出来るわな。
「嫌い」って感情を下らない、なんて一蹴することは、あれです、まさに意見の押し付け。断言してるしww
こういう感情は一般的には劣等感を合理化して生まれた優越感みたいなものじゃないかと思われるだけかと。
好き嫌いがあっても良いんじゃないの。ピーマン嫌いな大人もいるんだし。合わない人間の方が不味い食べ物なんかよりよっぽど付き合いにくいや。それだけは確かかなーと。無理は良くないよな。アンタが嫌いだ、と正面から言えれば世話ないんだろうけど。俺も生まれてきてから2回しか言ったことないなぁ「俺はアンタが嫌いだから一切関わらないでくれ」とか。そもそも大嫌いな人間てのが少ないんですが。

でも、言えない、言っちゃいけないってのを段々学ぶんですよね…子供の頃くらいに。言える場合は言いますよ。立場とか人間関係とか熟慮してから言いますよ、というか言いましたよ。でもなかなかチャンスないよね。それが現実。

そういう感情も持つ自分を意識しないとあんまり客観的になれない。



なんて、すぐ頭に血が上る俺が書く文章。