もっさりと

客観性っていうのは多分、色々な視点から見てみれば得られるもので、その視点が多ければ多いほど客観性が増すんじゃないでしょうか。要するに客観性に基づいた批評ならば万人が納得できる可能性が高いって事なのかな。それ故にあらゆる分野でも客観性のある批評が評価される、受け入れられるんだと思います。印象批評なんてのは気にくわない人が見たら気にくわないだけですから…。
ttp://plaza.rakuten.co.jp/isunikki/diary/200311030000/
下手をするとこういう気持ちにさせちゃうわけですね。まあ僕も…あれだ、批評じゃなくて感想なんでアレですが、激しく主観的に書いてますけど、まあ本書いて売るわけでもないし界隈の為になろうとしてるわけでもないし、自分の気持ちを吐露してるだけのオナニー文章なんで、人を不愉快にさせない自分なりの気配りしたら、正直、後は知ったこっちゃ無いですが(何

関係無いけど政治家とかその辺の専門家って妙に客観的に物事見れる人が少ないと思う…。だけど人間味があって嫌いじゃないんですよね(内容はともかく)。


http://www.dnp.co.jp/artscape/reference/artwords/a_j/impressive_criticism.html

あまりに客観性・実証性へと傾斜した批評は、もはや自らが依存するディシプリンへと内属する研究との差異を喪失し、逆に批評としての根拠を失うことにもなりかねないからである。そもそも、立場はともあれ、批評とはまず一人称によって態度を表明する営みではなかっただろうか。

なるほど。なりかねないらしいです。ありえますね。
僕はこういう場合の「そもそも」って言葉は変に強制的なので好きじゃないんですけれど、まあ納得です。印象批評は素晴しい、いえーい(意味不明


あと、印象批評とか、僕みたいに自分主体のオナニー文章だと、言語能力が低いとそれがモロに出ちゃいますよね。何だか難しい言葉とか表現を使かわれてると納得しちゃう人がいますけど、そんなのもん使っていようが使っていまいが、そこら辺は変わらないと思うんですがどうでしょう。
心情を吐露して言語化ってのはとても難しいのです。感想なんざ誰にでも書けますけど印象批評っつー高尚なものになると高名な人でもなかなか書けるもんじゃないんだと思いますね。恥ずかしながら瀧口修造氏の文章は読んだことはないので一度読んでみたいと思います。

でも客観的な批評っていうのはガキの頃から読んでるのがそういう内容だったからでしょうかね、やたらと憧れます。




そうそう、技術に関して云々言うと手軽に客観的な批評っぽいのが書ける気がするんですが、僕の場合は技術に云々言うのは「僕好みの作品にするには」的な話になっちゃってるのは読んでる人は気付いてると思うんです。
あひゃひゃひゃ。ほら、僕自己中なんで。